焼津弁・イン・ニューヨーク その2

焼津市の広報誌で『文芸やいづ』31号発刊のお知らせを見た。『焼津弁・イン・ニューヨーク』 というエッセイを第30号に掲載して頂いてから一年。早いものだ。

そんなことを考えていたら、ふと思い出した。思いもよらない場所で焼津人に遭遇した出来事がもうひとつ、ニューヨーク時代にあった。

コロナ禍の今、あのお店はまだ営業しているのかな。インターネットで検索してみると “Permanently closed (完全閉店)” とある。残念極まりない。ちょっとお高いけれど、内装もスタッフも洗練されていて落ち着いた雰囲気の和食のレストランだった。メニューは美味しいもののオンパレードで特に私のお目当ては釜飯だった。ニューヨークで釜飯を食べられること自体が珍しい上に、魚沼産コシヒカリを使った釜飯なんて私の知る限りではここしかなかった。

友達と
「久々に美味しいものを食べに行こうよ!」
ということになった時もお店はすんなりとそこに決まった。予約をしないで行ったのか理由は覚えていないけれど、通常あまり機会のないカウンター席に座ることになった。

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酒に弱く普段は殆ど飲まない私ではあるが、酒好きの友人と美味しい料理を食べているうちに、
「じゃあ私も」
と日本酒をオーダーする気になった。
「焼津にも美味しいお酒があるんだよー」
友人に話すとカウンターの中で働いていた細身で長身の男性がハッと
「焼津って言いました?」
と顔を上げた。

これがYくんとの出会い。何と私と同じ焼津の出身だった。『焼津弁・イン・ニューヨーク』に書いた出来事よりもだいぶ前の出来事で、焼津人に遭遇したのは初めてだったからそれは大興奮だった。独特の雰囲気を持つYくんだが、モデルと聞いて納得した。ニューヨークにはモデル・俳優・ミュージシャン・ダンサーその他どんなプロフェッショナルでも、本業が軌道に乗るまで生活費を稼ぐためにバーテンやウェイターなどの副業をしている人がたくさんいる。

お店が完全閉店してしまったのは残念だが、Yくんは今でもモデルとして活躍している様子。出会った頃から頑張っていたものね。これからも応援しています。

おまけでもうひとつ、ニューヨークで見つけた焼津を。イーストビレッジにある安くて人気の居酒屋で席が空くのを待っている間、内装として置いてあるレトロな公衆電話の台に目が吸い寄せられた。そこには「焼津」の文字が!自動車学校の広告だった。思わぬところで故郷と遭遇しホッコリした瞬間だった。


焼津の磯自慢、国内外にファンが多く酒好きな友人へのお土産にはいつもコレです! ☟

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