アメリカの薄切り肉

マンハッタンのダウンタウンに住んでいた頃の話。夫も私もフルタイムで働いていたので二人とも疲れて帰宅し、夕飯にデリバリー(出前)を頼んでしまうことも多かった。定番はベトナム料理、タイ料理、中華、寿司、などなど。特にベトナム系の夫は小さな頃からフォーを食べて育ったこともあって、フォーの出前を好んだ。麺とスープが別々の容器に入っていて、それとはまた別にパクチー・ミント・もやし・ライムといったトッピングとか、ホイズンソースやホットソースのような調味料も別の容器に入れて持ってきてくれる。日本に来てからはニューヨーク時代のように世界各国の料理を気軽に食べられなくなって寂しい。

おっと、誤解されないように…。もちろん殆どの夕飯はちゃんと自分たちで作っていた。夫の方が明らかに料理の腕が私より上なので、夫が料理で私は片付けという役割分担が多かったけれど、笑。夫曰く私が作るのはサバイバル料理(生きのびる為に食べる料理)だそうで。それでも私が作るそのサバイバル料理を美味しいと食べてくれるからそこはあまり追求しないことにして…。(ありがとう、ハニー。)

さてさて、そんな私が作る料理はやはり和食系のレシピが多かったりする。そして肉好きの夫と私。和食で肉、というと不可欠なのが薄切りや小間切れだ。ところがアメリカのスーパーでは日本のように薄切りや小間切れの肉は売っていない。なので、会社から帰宅する途中で日系もしくは韓国系スーパーに寄っては薄切りの肉を買っていた。少し割高感はあるけれど、一度自分で包丁を使ってスライスしてみようと試みた結果、買うが一番という結論に達した。

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ある時、
「今日は薄切り肉で料理しようっと」
と思い立ったはいいが、その日は休日でミッドタウンのアジア系スーパーまで出かけるのが億劫だった。で、思い出したのだが、よくその辺のデリ(デリカテッセン)でランチにサンドイッチをオーダーするとハムやローストビーフを薄~くスライスして挟んでくれるではないか。近くのスーパーでああいう風にしてもらえばいいのよね。聞くだけ聞いてみよう。

肉売り場にいたのは愛想のいいお兄さんで、
“Hi! What can I get for you? (何にする?)”
と声をかけてくれた。
“Can you slice this beef very thin, like deli slice?(このビーフ、デリのスライスみたいにすごく薄くしてくれる?)”
“Of course! Just for you.”
キミのためなら、とウインク付きの陽気な返事が返ってきた。なんて優しいお兄さん!聞いてみるもんだ。値段のステッカーを貼った肉の包みを手渡してくれるお兄さんに
“Thank you!”
とお礼を言う私もニッコリ。なーんだ、これならもうわざわざアジア系スーパーに行く必要もないじゃない。

帰宅後。料理を始めようと先程買った肉の包みを開けた瞬間、思わず大爆笑してしまった。私の笑い声を聞いて夫が何事かとやって来る。
「ナニナニ、どうしたの?」
スーパーでの出来事を話してから
「で、これが買った肉なんだけど・・・ハハハ」
私が指差したその先には薄切りという言葉とはほど遠い、日本のスーパーだったら『焼肉カルビ用』というステッカーの方がお似合いの肉が並んでいた。お兄さん、ナイストライ!もちろん夕飯のメニューは変更と相成った。そして、薄切り肉の買い物はやはりアジア系スーパーだよね、と夫とも合意。

日本にいる今、スーパーに並ぶ芸術的薄さの肉を見るたびにあのスーパーのお兄さんを思い出す。ところで、海外でアジア系のスーパーが近くにない日本人の皆さんはどうしているのか、気になって調べた事があった。米国在住のある人は、70ドルくらいでミート・スライサーを購入して冷凍した塊の肉を自分でスライスしているそうだ。カチコチより少し柔らかくなっている方が切りやすい、というコツも紹介してくれていた。ソウル・フードへの情熱はクリエイティブな行動を駆り立てる。そういえば、油揚げが簡単に手に入らなかったアップステート・ニューヨーク時代、私も自分で揚げたっけ。当時ミート・スライサーの事を知っていたら、私も「セルフ・薄切り肉」にトライしていただろうな。


もしもいつかまたアメリカど田舎にでも住むことがあればためらわず購入します。☟

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