消えた油揚げ
食べることが大好きな私は好き嫌いあれどジャンルにこだわらない為、海外旅行の際にもホームステイ先でも食事で困ったことはなかった。ところが、アメリカのど田舎に留学した時には大学のカフェテリア(食堂)で提供される食べ物にうんざりしてしまった。
サラダ、ピザ、パスタ、オムレツなど、選択肢は一応あるものの、いつ行っても同じメニューなので最初のひと月で食べたいものがなくなってしまった。しかも、どれをとってもお世辞にも美味しいといえるものではなかった。じゃあ他の所で食べたらいいと思うだろうが、そう簡単に解決できる問題ではなかった。
大学のポリシーで、留学生はまず寮に入らなくてはならず、寮に入る生徒は必ずカフェテリアの食事券を購入しなくてはならなかった。この食事券というのが、お値段はそれなりにするものだから食事はもうカフェテリアでするしかない。生徒が食いっぱぐれないようにという大学の配慮なのかもしれないが、あのメニューでは健康管理など到底できるはずがない。遂に嫌気がさした私は、入学から半年もしないうちに寮からの脱出を計画した。
まず、アパート住まいをしていた留学生仲間からの情報収集だ。彼女曰く、寮を出るのはそう簡単ではなく役員会の承認なるものがいるらしい。そして、役員会は学費の出資者である生徒の親が言う事には敏感だ、と。ふむふむ。私は勉強の合間に疲れた脳をフル回転して役員会に提出する手紙の内容を考えた。そして完成した手紙の概容はこうだ。(友達のアドバイスをもとに親からの手紙という事にした。)
「娘は海外の食事に慣れることが出来ず、心身共に悪影響が出てきた。このままでは学業にも支障を来す。娘は他の学生たちより年上でもあるから、寮を出て自立した生活を送るべきだと考える。」
作戦成功、晴れて役員会の承認がおり、私はさっさと荷物をまとめて寮から「出所」した。
さて、これからは自炊生活だ。それまでさして美味しくもない洋食ばかりだったから、とにかく和食が恋しかった。しかし、日系スーパーどころかアジアものを扱う店など全く無い小さな田舎町で、せいぜいスーパーに醤油と豆腐が置いてある程度だ。手に入る和食の食材は極端に限られていた。
そんなある日、日本人の友人が
「大豆や干し椎茸があるオーガニックのお店を見つけたの。行かない?」
と誘ってくれた。二つ返事で寂びれたダウンタウンにあるその店に行ってみると、
「うわー、ホントだ!」
あるある。小さな店内に懐かしい日本の食材から見慣れないものまで所狭しと並んでいる。つい興奮して声が大きくなってしまったが、お店の人は迷惑がるでもなく大豆の重さを淡々と計ってくれた。予想外なところでひじきまであったのでルンルン気分で購入した。
大豆、干し椎茸、ひじき…、あとは普通のスーパーで人参を買えば煮物ができる!いや、待てよ。おばあちゃんが昔作ってくれたのには油揚げが入っていたぞ。一度そう思うと、もう油揚げなしの煮物は考えられなくなってしまった。
今だったら米国内にある日本食材店のネットショップなどでオーダーできるのかもしれないが、当時はそんなものなどなかった。そこで、車で一時間ほど先のもう少し大きな町にあるアジア食材のスーパーまで足を運び、油揚げをはじめお米やら色々な食材を買い込んだ。
お米や粉末のだしは一度買えばしばらくもつけれど、油揚げは数日でなくなる。が、その都度往復二時間をかけて買い物に行くことはできない。もっとお店が近ければなぁと溜め息を付いていると、あるアイデアが閃めいた。「自分で作ってみたら?」「だって油揚げって豆腐を揚げたものでしょ?」豆腐なら近くのスーパーでも売っている。インターネットで検索してみると、作り方があったあった。
とある休日、
「よし、やってみよう!」
と意を決して油揚げの手作りに挑んだ。実は私、食べるのは大好きでも料理はあまり得意ではない。豆腐の水切りをするなんて生まれて初めての事だった。けれど頑張った。だって煮物に油揚げを入れたいんだもの。
そしてウェブサイトに書いてあった、「初心者は最初の数回は失敗する覚悟で」という言葉を思い出しながらも、勇敢に水切り後の豆腐を熱い油に投入した。すると油が、パチパチではなくてボコッ、ボコッ!とマグマのように飛んで来た。あぁ、思い出すだけでも恐ろしい。鍋の蓋を盾のように持って奮闘し、命がけで何とか豆腐一つ分を揚げ終えた。
結果から言うと、できたのはお店で売っている油揚げとは程遠く、揚げ豆腐に近いものだった。それでも私は大満足、ひとり悦に入っていた。その晩は自家製の油揚げを使った煮物を美味しく食した。そして、残りは丁寧にラップをかけて冷凍庫に保存しておいた。それからしばらくの間は、アジア食材のスーパーに出かける必要もなく、快適和食生活を送ることができた。
ある日、大学の授業の後手作り油揚げを使おうと冷凍庫の扉を開けたが、どこにも見当たらない。まだ残っていたんだけどおかしいなぁ、と当時一緒に住んでいたエクアドル人のボーイフレンドに
「お豆腐の揚げたのがないんだけど知らない?」
と聞いてみた。すると、
「他に食べる物がなかったから食べちゃった」
という耳を疑う返事がサラリと返って来た。「私が命がけで作ったあの油揚げを食べただと?」込み上げる怒りにギャーギャーと捲したてると、
「ごめんごめん」
と、さほど反省しているわけでもなさそうに謝られて余計に腹立たしくなった。
その後、自家製油揚げを作ることはなかった。自分で作って火傷をおう確率と、運転で買い物に出て事故にあう確率では後者の方が低く安全だろうと悟った故だ。しかし、何でもやってみるものだ。日本に住む今では簡単に近くのスーパーで手に入るが、食べる時のありがたみが全く違う。
ところで、消失事件の当時はあまりの動揺に聞きそびれたが、エクアドル人の彼があの「油揚げまがい」をどう食したのか。気になるが、今となっては謎のままだ。