背中をポンと押してくれる存在
社会人生活4年目に入った頃、人生が自然と留学をする方向に向いた。大学休学中にアメリカでのインターンシップを経験し、帰国した直後からずっと、いつかまたアメリカに戻るんだと心のどこかでわかっていたが、そのタイミングがきたのを感じた。当時勤めていた会社の事務所移転が大きな前兆・サインだった。
会社に辞表を出すのはとても勇気がいる事だった。残念でもあった。なぜかというと、素晴らしい同僚と先輩たちに恵まれ、仕事が楽しかったからだ。夜中まで働きオフィスに鍵をかけて帰る日が続いたが、全く気にならなかった。大学を卒業したてで右も左もわからない私を採用し、アメリカ本社の決定で一時的に私がこなしていた業務がなくなった際にも他のポジションに当てて在職させてくれた。いくつかの大ポカをやらかしてもその都度かばってくれ、社会人としての私を育ててくれた上司には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。いよいよ退職の意志を伝えなくてはならないと思ったある日、勇気を出してその上司のオフィスのドアを叩いた。今は亡きその上司の言葉。
「そうですかぁ、まぁ、海外に行くと色々あるけど、お金が底を突くと心も大変になる。そういう時はシッポを巻いて逃げ帰ってくるのもありですから」
社内全体が禁煙なのにも関わらず彼の部屋だけ喫煙できるという、何時でも自分を曲げないその上司の表情が一瞬和らいで、気持ちがふっと楽になったのを覚えている。背中をポンと押してもらった感じ。実は会社の過渡期で
「これからもついてきてくれますか」
というありがたいスカウトのお言葉を頂いた直後だっただけに、今でも思い出すと本当に申し訳なかったと心がいたむと同時に、懐の大きな方だったなぁと感謝の気持ちでいっぱいになる。
ニューヨークに住んで15年目を迎える頃、子供が一歳になって主人と日本への移住(私にとっては帰国だが)を決めたが、帰るのが一番の選択とわかっていても最後まで大好きなニューヨークを離れるのには未練があった。その時、主人が
「行こうよ」
やっぱり背中をポンと押してくれた。アメリカ人の彼にとっての方が日本に住むことは未知の世界だったはずなのに。
人生を大きく変える時、希望とともに必ず心に幾らかの迷いが生じる。そこでいつも背中をポンと押してくれる存在があった。
背中を押してくれる音楽も大切。☟