マミートラックを選択したあなたへ
それまで築き上げたキャリアにひと段落つけて母親業に専念する道を選ぶ事を英語でマミートラック(mommy track)という。昔、まだ私が結婚も出産も「果たして私に起こる事なのか?」と疑いながらバリバリ仕事をしていた頃に読んだビジネス誌で初めて見た言葉だったと思う。当時の自分からはほど遠すぎて深く考えもしなかったが、何故か印象に残った言葉だ。
それから何年も経って、自分に結婚と出産の時がきた。ニューヨークに行ったまま自分の身を建てる事ばかり考えている娘に
「いつ帰って来るの?」
とか
「いい相手はいないのかね」
とかいう言葉ももう親の口から出なくなっていた頃だ。
アメリカでは産後2~3ヶ月で仕事に戻る女性が殆どだ。というよりも会社勤めの女性にはそれしか道はない。私もそうだった。残っている有給と会社の規定にある産休なんかをかき集めての3ヶ月だった。
会社に戻る前にナニーさんかデイケア(保育所)を探す必要があった。私と夫は当時マンハッタンに住んでいたが、ナニーさんかデイケアか、そしてどれを選ぶかがひと苦労だった。しかも月に3000ドル(当時の換算で約30万円)かかるのが相場だった。ラッキーなことに友人の紹介で素晴らしいナニーさんを見つける事ができ、ママグループからナニーシェアしたいというママも見つけた。ナニーシェアというのは言葉どおりナニーさんをシェアする事で、ひとりのナニーさんに複数の子供をみてもらうことをいう。これで息子にも兄弟のように一緒に育つ友達ができ、ナニーさんにも2家族から安定した報酬を払うことができるようになった。そして交渉で各家族の経済的負担も少し軽くすることができた。
産休中にもう一つしたかったのは家族の新しいメンバーを日本の両親に直接紹介する事だ。私の両親はもう年で、飛行機に長時間乗ってニューヨークになんて行けません、と子供ができる以前から言われていた(実際両親とも1度もアメリカ本土まで来たことはない)。ならばこちらからと、生後2ヶ月の息子と一時帰国。
そんなこんなであっという間に3ヶ月が過ぎ、予定通り職場に復帰した。朝子供をナニーさんに預けたら搾乳機を担いで出勤、1日2回の搾乳休憩、残業は完全にシャットダウン。目まぐるしい日々だった。週末の朝は夫が起きるまで息子をベビーカーに乗せてハドソン川沿いのバッテリーパークシティやイーストリバー側のサウスストリートシーポートをコーヒー片手に散歩するのがお決まりだった。
息子が1歳になる頃、休暇を取って息子と一時帰国した。夫は仕事を休めずニューヨークに留まったが、その間に息子が歩き出した。両親の嬉しそうな顔。祖父母と同居で育っておじいちゃん子だった私は息子にもおじいちゃんおばあちゃんの側で育って欲しいと思った。
ちょうど同じタイミングで、当時住んでいたニューヨークのアパートが取り壊されるからと全室立退きのリクエストがあった。引っ越しをしなくては。この段階で夫は
「川を超えるなら海も超えちゃえ!」
と言い出す。イーストリバーやハドソン川を超えてマンハッタン外へ引っ越すなら太平洋も超えて日本に引越しちゃえということだ。マンハッタン外でもクイーンズやブルックリンは人気のある居住区だ。それまではマンハッタンの大きなスタジオ(ワンルーム)だったが、大型犬がいる上に子供も加わったから最低でも1−2ベッドルームが必要になる事を考えるとやはりそちら方面が自然と候補に上がる。しかし通勤時間が長くなるのを何より嫌った夫。そんな彼らしい発想だ。常日頃から、もっと子連れで日本に行く機会が欲しいと願っていた私も心が傾く。そんなんでやたらと根気が要るニューヨークでのアパート探しに注ぐ気力は次第に失せていった。近くに新しいアパートビルができたので、ちょっと見に行ってみた。1ベッドルームを見せてもらうと今のアパートと総面積は同じで壁で区切っただけのような感じだ。なのに毎年着実に上がる家賃の相場の通り、月の家賃は3000ドル(約30万円)だった。2ベッドルームで4000ドル(約40万円)。
ぐんぐん成長していく息子の日々の成長を見ることなくナニーさんに全て任せて仕事に行く生活。そして家賃と教育費だけでも月に6−7000ドル?そこに価値を見いだせなかった。何かが違うと思った。自分で子供を育てたいという気持ちが益々膨らんだ。ニューヨークから生まれ故郷に引っ越すタイミングがきていると感じる理由は他にもあった。
まずは教育の質。アメリカの公立学校は住むエリアにもよるがかなり当たりはずれがある。私立に入れればいいのだが、恐ろしく高額だ。それに比べたら日本の教育はどこでも一定の水準を満たしている。次に日本の両親。今は元気でもだんだんと助けが必要になってくるかもしれない。私には姉が1人いるが、そうなった時彼女1人に負担をかけたくない。皆が元気なうちに近くで一緒に幸せを分かち合って暮らしたい。
それでも15年暮らしたアメリカから帰国するのはやはりそう簡単に決心できる事ではなかった。最後は夫がポンと背中を押してくれた。
私がマミートラックを選択した経緯をお話ししたけれど、他にマミートラックを選んだママ達も経緯はどうであれ基本的に子育てを自分でしたいという気持ちが大きな理由になっているのは同じなんじゃないかと思う。
近頃は多くのママ達が働いている。女性の社会進出がもてはやされ専業主婦が珍しい存在になってきた。出産から数年して子供が幼稚園や小学校に入った頃から働きだすママも多い。そんな中、ふと目についた記事にあったママさんも私と同じマミートラックを自ら選んだ元キャリアウーマンだった。女性の社会での活躍が推進される世の中で焦燥感を感じてしまうという内容だった。わかる気がする。確かにマミートラックは今の日本の流れに逆らっているかもしれない。更に、自ら選んだ道でも子育ての大変さ、かつてのものとなってしまった社会的ステータス、夫に稼ぎを任せる(自分が家庭の収入に貢献していない)後ろめたさみたいなものが色々と混ざってモヤモヤするものだ。そしてこの感情はなかなか理解してもらいにくい。このご時世に専業主婦になれたありがたさはわかっていても、子育てに真っ向から取り組むのが初めての私には仕事に行っちゃった方がよっぽどラク!と思ったことも多々あった。仕事をしていた頃は子供と始終共に過ごすのを夢見ていたのに。ワーキングマザーの大変さにマミートラックの苦悩。どちらも決して楽ではないし両方経験できた事に感謝している。
とりとめもない話になってしまったが私はどちらのママも応援している。そして私と同じマミートラックを選んだママさん、自分で選んだ道を誇りに思って楽しもうよ、とお伝えしたい。お金では買えない、素敵な思い出を子供とたくさん作れる事が何より価値があると私は思う。そして何よりも、子供に注いだ時間と愛情は子供の中にプラスに残ると私は信じている。