見送られるのってツライ
お別れはいつでも辛いもの。特にしばらく会えない人にバイバイしなくてはならない瞬間。離れて行く感じが、胸を締め付ける。私の場合、人に見送られるのがことさら苦手だったりする。
私が初めてひとりで海外に出て行ったのは21歳の時。アメリカでのインターンシップを経験するためだった。大学の3学年目を終了してから一年間休学しての渡米だったため、当時所属していたテニスサークルの仲間が空港まで見送りに来てくれた。さてそろそろ出国審査を通ってゲートへ向かわねばというところで
「機内で読んでね」
と封筒をもらった。皆それぞれの人生で脳裏に焼き付いている瞬間というものが幾つかあると思うが、私がエスカレーターでゲートへ向かう様子を少し離れたガラス張りの壁越しに見守りながら手を振る友人たちの姿は私にとってそのひとつだ。そして機内の座席に落ち着き、夕日を見ながら飛行機が飛び立つ頃に封筒を開け、友人たちからの熱い応援メッセージを読んで号泣した。嗚咽が漏れそうになって必死に堪えたっけ。隣に座っていたおじさんは何事かと思っていたに違いない。
インターンシップは約10ヶ月間。4月から約5ヶ月をノースカロライナ州で、そして9月の新学期にあわせて次の5ヶ月はお隣のバージニア州で過ごした。その後日本に帰国する前にインターン仲間2人とアメリカ横断のドライブ旅行を計画し、最初のノースカロライナのホストファミリーのところにまずは集合することになった。その際、バージニアとノースカロライナの両ホストファミリーがお互いの中間地点までドライブして私を「引き渡して」くれた。バージニアのパパママにお礼とお別れを告げると、ママが口を押さえて泣きそうなのを堪えながら車まで戻って行ったのが忘れられない。私の目からも涙がホロリだったけれど、あの時は先にバージニアのパパママが去って行ったので結果的に私が見送る側になって私的には見送られるより気が楽だった。
時は過ぎ2000年、今度は留学先のニューヨークに向けて出発する日。荷物もあるからと家族が静岡から東京まで同行してくれた。成田空港まで行こうかという家族に東京までにして、とお願いしたのは私だった。前回の大学の仲間のように、今度は家族が見送ってくれるのを想像しただけで悲しくなっちゃう。しかも今回は最愛の姪っ子もいた。当時1歳の姪っ子とは一緒に出かければ娘と間違われるしお互いベッタリのラブラブな仲だった(今でもそうなのだけど。)友人から
「愛に溺れると書いて溺愛…まさに」
というお言葉を頂いた程だ。そんな姪っ子に泣かれたら私が行きたくなくなっちゃうよ!アメリカ留学を私がためらった唯一の理由がこの姪っ子と離れてしまうことだったのだから。その話をした友人から
「自分の子供じゃないんだからさ」
とアドバイスをもらって踏ん切りがついたと言っても大袈裟ではない。
さて、東京駅内のレストランでランチをしている間に飽きてしまった姪っ子を私が先に連れて出ると、すぐ目の前にあった階段を面白がって昇ったり降りたりし始めた。それで疲れてしまったらしく、いざ出発の時間にはすっかりお昼寝を始めてしまった。ギュッとハグできなかったのは寂しかったけれど、
「めーぐーちゃーんっっ!」
と泣き叫ばれる事を考えたら平和で静かなお別れの方がいい。(今これを書いているだけでも当時を思い出して目がウルウルしてしまった。)姪の母親である姉に
「私のこと覚えててくれるようにしといて~!」
と見送る家族に手を振りながらレストラン近くのエスカレーターを昇ったのを覚えている。
見送られるのって本当にツライ。だからある時から別れの時、特にしばしの別れの時は
「見送らないでね」
とお願いするのがお決まりになった。
だけどその言葉をいつも無視する人物がひとり。私の父だ。まだアメリカに住んでいた頃、帰国して実家に滞在した後アメリカに戻る時は大抵父が駅まで車で送ってくれたのだが、ロータリーで降ろしてくれたらそのまま帰ってくれればいいからと言っても必ず父は車を駐車し改札まで同行してくれていた。そしてプラットホームから私の乗った電車が出発するまでずっと見える場所から見送ってくれるのだ。結婚・出産後も同じ。孫がいたら尚更見送っていたいのだろう、いつまでも手を振ってくれたものだった。そんな家族がいる事はとてもありがたい。けれどもやっぱり離れて行く感じ、苦手なんだよなぁ。
ちょっと話は変わるが、過去に自分が死んだ夢を見た事があった。ふわふわと宙にいて、下の方にでベッドに横たわる自分の体を眺めていた。不思議な感覚でしばらく浮かんでいると、いつの間にかまわりに家族や友人たちが登場する。皆が悲しんで泣いている姿を見て
「えっ?!ちょっと!なんでそんなに泣くの?悲しまないでよぉ~!」
と上の方に昇って行くのがとても辛かった…という夢。起きたら自分が泣いていた。その時思った。死別はそれは辛いものだけれど、亡くなった人が往生する為にもあまり悲しみ過ぎるものではないと。大切なのはその人が残してくれた思い出や存在してくれた事自体に感謝して安らかに眠ってねと祈ってあげることではないかと。
生きている人、亡くなった人、どちらにしてもお別れの時には感謝の気持ちを持ちながら心地よく出発できるように接してあげたい、と私は思う。だってやっぱり見送られるのはツライんだもの。
小さな子供との旅に便利!