大根はファンキー
ニューヨーク州立大学での最初のセメスター(学期)は寮暮らしだった。地元の生活に慣れてくるとキャンパス外にアパートを借りて暮らす留学生も多いが、最初は大抵が寮で留学生活をスタートする。そして、私が行っていた大学ではキャンパス内に散在する幾つかの寮の中でもある棟が留学生用と決まっているらしく、私がいたフロアはリトル・トーキョーか?というほど日本人女子が集結していた。出身国が同じなら生活習慣も似ているし学生間のコミュニケーション上の問題もなくなる、という事だろう。その棟は基本的に一部屋に二人が住むことになっていて、私のルームメイトも日本人だった。
さて、このリトル・トーキョー・フロアにひとり、Hという韓国人留学生がいた。この田舎の大学、ミュージック・ビジネスの学科があるのでそれが目的で留学してくる日本人が私を含めて当時十数人、それ以外では韓国はもとより他の国からの留学生は数える程しかいなかった。いてもアパート暮らしだったようで、Hは自然とこの留学生用のフロアの一員となった。とても明るい性格で誰とでも友達になれる彼女は何ら問題なく日本人ルームメイトと暮らしていた。ちょっと面白いところと言えば、心がとても純粋な彼女は純愛映画の代表とも言える「タイタニック」の大ファンで、授業が終わると部屋に戻って毎日(本当に毎日もれなく)その映画を見ては必ずと言っていいほど感動の涙を流していた。彼女は私の隣の部屋だったから、毎日夕方になるとセリーヌ・ディオンの歌声が聞こえてきて
「飽きないねー、ホント」
とルームメイトと言っていたものだ。
ちょっと前置きが長くなったけれどこのH、韓国人であるからにはキムチがないと生きられない(?)のか、ある時彼女の部屋に大きな壺入りのキムチが登場した。お家の人が送ってきたとか言っていただろうか。突然寮中にあのキムチの匂いが広がって大騒ぎになった。まぁ、日本人の私たちはキムチの存在も、韓国人だったらきっと大好きだろうという事実もわかっている。それでも匂いがして、その匂いが相当強いというのは事実。ましてや上階に住むアメリカ人学生達にとっては
「なになに?何だ、この強烈なニオイは!?」
ということになるのだ。なんとな~くいつまでも漂っているその匂いを追い出そうと窓を開けたり奮闘すること数日、ある日授業に行くのに近道である寮の裏口のドアを開けるとすぐ出たところにHのキムチ壺が置いてあるではないか。
「ありゃ?」
とその時はそのまま授業に向かったものの、いつまでもそこからなくならない壺。気になるのでHに聞いてみたところ、やはり苦情があるので外に置いておくことにしたんだそうだ。それにしてもかなりの頻度で学生達が通るドアの真横に置いておくのもある意味度胸がある。悪戯などする学生はいないだろうが、食べ物を無防備に放置してあるという事実に私の方が心配してしまった。しかも当時は冬でオネオンタは大雪が降ることもよくあるくらい寒い。暖かな部屋の中にあるよりはいいのだろうけど、凍っちゃわないかしら?そんな私の心配をよそにHは壺の中のキムチを着々と消費していたらしい。その後「おかわり」が届くことはなく壺もいつの間にか裏口から消えてなくなった。
自分では食べ慣れていて気にならない食べ物の匂いでも人に不快感を与えることはあり得る。日本食では納豆なんかがそのいい例だ。他にもアメリカでは魚を食べない人も多いし、とにかく公の場では匂いの強そうなものを食べるのはできるだけ控えていた。
ところが一度だけ、ついうっかりやらかしてしまったことがある。従業員で日本人は私だけしかいなかったレコード会社時代。珍しくアパートで料理をしたら豚汁が余った。味噌汁はアメリカでもお馴染みになっていたし、あまり深く考えずに翌日ランチに持って行った。職場の小さなキッチンにある電子レンジで温めてからテーブルで食べていると、同僚がやって来た。その同僚がキッチンに入るなり顔をしかめて “It smells funky in here.” と言う。と同時に気付いてしまった。大根だ!そういえば大根て特有の匂いがするし、アメリカ人には馴染みのない匂いだ。
「ゴメン!私の味噌汁だわ。」
謝ったものの、彼女の真面目な顔とその口からサラリと出た “funky” という表現が妙にツボに入って大爆笑してしまったのだった。
日系の職場に移ってからは周りが日本人だらけだったのですっかり気を抜いて近くのデリでスンドゥブ・チゲ(韓国の豆腐スープ)なんかを買って来てデスクで食べたりしていたけれど、あれはアメリカ人の同僚にとっては迷惑だっただろうなぁ…。反省。
Hは今でもこの映画を見ているだろうか…。