ベルトはH&M
ニューヨーク時代、とある有名ブランドで働いていた時の話。女性向けの商品が中心でオマケのように扱われていたメンズ部門にも力を入れる事になった。それを受けて、煌びやかなミッドタウンにある旗艦店の改装が始まった。2フロアある店舗の2階のいちばん奥に追いやられていたメンズの売り場が1階に移動するという。改装中は新しくメンズ売り場になる1階のエリアが大きな壁で仕切られ中を覗くことはできなかったので、壁の向こうがどうなっているのかスタッフ一同興味津々。更に、それまではフタッフ全員が交替で受け持っていたメンズ売り場だったのが、リニューアル後は専属のスタッフができるというので「誰がメンズにいくのか?」と発表をドキドキしながら待っていた。
いよいよメンズリニューアルの日がやって来た。著名人や有名ブロガーを招待して華々しいお披露目パーティーが開かれた。有名ブランドの旗艦店というだけあって、通常から国内外からのお客さんで賑わっていた店舗だが、この日は更に盛り上がり熱気ムンムンだった。
「誰がなるの?」と興味の的だったメンズ専門スタッフ。発表されてなんとビックリ、私の名前がそこにはあった。ということで、その日から私はメンズ部門の配属になった。ガラス張りで白が基調の明るい女性向けフロアとは違って、新しいメンズのフロアは外からの光も抑えてあるしライト自体が暗めの設定で落ち着いた雰囲気だ。色合いもダークブラウンや木のディスプレイでシック。キラキラでポップな女性向けフロアと比べたらどう考えてもこっちの方が私の好みに近く、正直言って「メンズに来られてよかった!」と思った。以前はスタッフ間のセールス争いなどもちょくちょく目にしていたけれど、平和で仲の良いメンズではそんなこともなくなかなか仕事がし易い場所でもあった。
この新装メンズの発足で様々な変化があった中、スタッフに直接大きく影響したのはドレスコードだった。それまでは白シャツに黒のスカートまたはパンツ、黒のジャケットに黒のパンプスという、よくある店員さんスタイルだったのが、新・メンズスタッフは白シャツにダークブルーのジーンズ、紺のジャケット、靴は茶色と大きく変わった。普段からジーンズをよく履いていた私にとってはウェルカムな変化だった。
そのうち、そのドレスコードがブランド全体で導入されるようになり、スタッフはさすがに皆ファッション大好きとあって、あそこのジーンズがいい、ジャケットはここなどと楽しそうに話をしていた。ちょっと不思議、というか理不尽だなと思ったのは、社員が自分でそれらを用意しなくてはならなかった事。毎日職場で着る物だから、皆それなりの数の黒い服や靴を既に所有していたに違いない。それがある日から突然に使えなくなったのだ。しかもジーンズやらジャケットやらを新調しなくてはならない。会社が推薦する、同じ傘下のブランドのものなら割引が利くというが、それでもまだ結構なお値段だし結局は自分の懐からの出費だ。
そんなある日、会社から、夏に向けてメンズのスタッフには自社ブランドのサンダルを二足支給するという発表があった。普通に買えば軽く数万円するからありがたい!と思ったのもつかの間、この中から選べと知らされた該当モデルはどれも履いた途端に「うわー、足がつるよー!」というくらい高いヒール。因みに当時の私はフラットシューズばかりを愛用し、ヒールは時々履いてもせいぜい1インチ(約2.5センチ)の高さが限度だった。その私がスーパーモデルがランウェイを履いて歩くような高いヒールを何時間も履いて大理石やカーペットの床の上を行き来できるのか?冗談でしょ、ムリムリ。だから、見た目はなかなかステキなその二足は常にスタッフルームのロッカーに置きっ放しで、
「今日はエグゼクティブが来るから、サンダル履いてね」
とか言われない限りは自前のフラットシューズを愛用していたのだった。
正直言うと、サンダルよりもベルトを支給して欲しかった。茶色の靴に合わせて新しいベルトもいくつか必要になったんだもの。しかしながらこのブランド、皮革ブランドだというのにあまりベルトがない。しかもメンズものばかりで何故かレディースのベルトが全くない。
「えっ?ベルト売ってないの?!」
これは女性のお客さんからも幾度となく頂戴した言葉。私もビックリというかガッカリよ。だから新しいドレスコードになった時、とりあえず2本くらい買いたくて仕事帰りに近くのお店を覗いたりした。なかなか気に入ったものが見つからず、
「あー、昔日本で使ってたあのベルト、今あったらなぁ(あってももうサイズ的に入らないけど)」
などとベルト難民化しながら考えていた。すると!イメージに近いのがあった!なんとフラリと寄ってみたH&Mで。10ドルなり。思わず買ってしまった。
翌日はそのH&Mで見つけた新しいベルトでご出勤。フロアに出ていると、10代の女の子とそのお母さんがメンズセクションにやって来て
「ベルトを探しているの」
と言う。ボーイフレンドとかお父さんへのプレゼントかと思い聞いてみると、その女の子が自分のベルトを探していて、ここならあるだろうと来てみたそうだ。ニューヨーク観光に来たし、せっかくだから好きなブランドのお店で買いたいと思ったんだろうな。そして他のフタッフからメンズの物しかないけれどとりあえず見てごらんとメンズ売り場に案内されて来た、というよくあるパターン。
「こういうのだったらあるんだけど…」
メンズにしては華奢かもしれないけどその少女がするにはどう考えてもゴツいよなぁ、というベルトを見せていると、その女の子が突然嬉しそうに
「あなたのそれ!そういうベルトが欲しいの!」
と私のH&Mちゃんを指して声をあげた。しまった…。
「それ、どこで買えるか教えてくれる?」と娘の思いを叶えてあげたいお母さん。うぅ…。うちにはベルトがないんだから教えてあげてもいいよね?それが親切というものよね?しかし高級皮革ブランドの社員がH&Mのベルトというのもどうか…。数秒間という短い時間内にここまで様々な思いが交差したことはない。”OK, I’ll tell you, but it’s a secret. (教えてあげるけど内緒よ。)”とウィンクしながら角のH&Mだと教えてあげると、
「えーっ!ホント?安いし尚更いいじゃない!行ってみるわね。」
嬉しそうに店を出て行った。
今でも思い出すたびに苦笑してしまう出来事だ。そのH&Mちゃんは数ヶ月間ヘビーに使われ、くたくたになって天寿を全うした。その後転職した職場はバリバリの金融オフィスでワンピースを着ることが多かった為、ブランド勤務時代の服や靴は不要になった。更に、転職後暫くして妊娠したので私のワードローブはマタニティーが中心になった。いやぁ、ニューヨーク時代はワードローブにも実にいろんな変化が起こったものだった。
ここ最近はこういう便利なものを使っています。