大停電 その2

2012年10月、大型ハリケーンのサンディがニューヨークを直撃した。同月にハワイで結婚したばかりの夫と私がオアフ島でのハネムーンから戻ってすぐの出来事だった。

当時はロワーマンハッタンの世界貿易センター跡地近くに住んでいた。同じロワーマンハッタンでもバッテリーパークに住む知り合いのエリアは避難命令が出ていたが私たちの住むエリアは被害もそこまでひどくなかったし、幸いアパートビルへの浸水もなかった。ほんの数十メートル、イーストリバーに近付いた辺りは浸水がひどく、数日間アパートに閉じ込められた末に引っ越す羽目になった知り合いもいた。

さて、私にとって二度目の大停電。この時は夫もいて心強かったし災害時に備えて夫が買っていたミニ発電機型ラジオ(手でグルグルハンドルを回すと発電する)があったので情報も入手できた。食べ物は乾物や缶詰があったしガス台も使えた。問題は、停電が長引きそうということだった。

昼でも光の全く入ってこない真っ暗闇の廊下や階段をiPhoneのライトを頼りに降りるのはスリルがあったが、翌日様子を見に外に出てみることにした。3ブロックほど北へ歩くとブルックリンブリッジ付近にあるPace Universityの入り口にあるコンセントから携帯を充電している人がいるではないか!これはありがたいと充電中の数人に混じってちゃっかり充電したのだった。

そして持つべきものは友達、クイーンズに住む友人夫妻から
「電気が復旧するまでうちにおいで」
というこれまたありがたい電話をもらった。彼らは車を持っていてわざわざお迎えにまで来てくれた。夫がテキサス時代から一緒の大型犬のハービーも一緒に二晩お世話になった。

会社にもそこから通勤したのだが、奥さんと私は勤務先が近かったので一緒に出発。地下鉄がまだ完全に運転を再開しておらず、同様にマンハッタンに出勤する人々で駅は異常な混み具合だった。バスの方がいいかもとようやくバスに乗るもイーストリバーを渡る橋が超混雑で3時間半かけてやっとミッドタウンに着いた。その晩友人宅に戻って話を聞くと、やはりミッドタウンで働く旦那さんが奥さんと私の1時間ほど後に出発したところ、すんなり地下鉄にも乗れて私たちより早く着いていたことが判明した。きっとあれよあれよという間に地下鉄の復旧が進んだのだろう。

この時はサンディの影響で郵便機能が滞り、婚姻を証明する書類が会社への提出期限に間に合わずに後で説明しなくてはならなかったという後日談がある。でも心身にダメージを受けたり大きな被害を受けた人々の事を考えると文句は言えない。私たち夫婦はアパートに戻って冷蔵庫の中のものを捨てるくらいの被害で済んだのだから。


備えあれば憂いなし。☟

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