ブルックリンの物乞い少年
大学院で一緒だった仲良しグループのひとりから
「コンドミニアムを購入したから遊びにおいで」
と招待してもらったことがあった。在学中はなかなかしっくりくるガールフレンドに巡り合えずにいた彼。少し前に
“She is THE one”
と、運命を感じる女性に出会ったという報告を受けていたが、物件を購入してその彼女と住み始めたというわけだ。めでたい!と仲良しグループのメンバーでお邪魔することに。
場所はブルックリン、Fトレインの Smith 9 Streets駅が最寄りだという。通常は通勤も買い物も私が住んでいたマンハッタン内で済んでいたのでブルックリンには降りたことのない駅が多く、 Smith 9 Streets駅もそのひとつだった。
ニューヨークの地下鉄はマンハッタン内では地下を走るが、ブルックリンやクイーンズに渡ると地上に出る区間がある。Smith 9 Streets駅も地上にあり、エスカレーターで道路まで降りて行った。ラッシュアワー外ということもあるのだろうが、人通りの少ない駅で、まわりにお店も見当たらなかった。更に大手小売チェーンの裏手に面しているようで殺風景極まりない。駅周辺に何かお店があるだろうと見込み、手土産はそこで買って行くつもりでいたので「しまった」と思いながら歩いていると、少し先に小さなデリがあった。「ここで飲み物でも買って行こう」と考え店内に入ると、同時に私の背後から10歳くらいの男の子が入ってきた。買い物に来たのだろうと別に気にせず飲み物のエリアを見ていると、背後から
「お金ちょうだい」
と声がする。振り向くとさっきの少年だ。何だか問題のありそうな雰囲気。聞こえないふりで選んだ6本入りのビールを手にするとまた
「お金ちょうだい」
ニューヨークに住んでいると、至る所でお金を求められる。地下鉄内、駅構内、路上...。そしてシチュエーションも様々だ。私は、電車内や路上でパフォーマーが楽しませてくれた時などはそれがたとえ一駅の区間でもお礼の意味も込めて少額ではあるが喜んで差し出す。働くのも大変そうなホームレスのおじいさんにも、助けになればとポケットから少しばかりの寄付を取り出す。けれど、求められるたびにあげることなど出来ないし、どういう人にあげるのかもある程度の基準を作っていた。
例えば、ある時は通りを歩いていたら車椅子の中年女性が丁寧に
「お金を恵んでください」
と言ってきた。1ドル札を渡したらイヤそうな顔で
「5ドル札はないの?」
と言われ、黙ってその場を去った。
話はずれるが、乞われたのはお金だけではない。地下鉄内でガムを噛んでいたら隣に座っている若い女性に
「ガムある?」
といきなり聞かれ、ポカンとしていたら
「ガムよ、ガム」
と上下の歯をガチガチ、ガムを噛む真似を大袈裟にして見せる。いや、言うことがわからないんじゃなくてビックリしたのよ、アナタ。図々しいじゃんと思いながらも、日本だったらほぼあり得ないシチュエーションがおかしくてあげてしまった。
さて、ブルックリンの物乞い少年に話を戻すが、彼は私の基準からすると明らかに「寄付しない人」に分類される。
“Sorry, no”
と返事をすると、
「ビールを買うお金があるのに僕にくれるお金はないの?」
なんと!こういう強引で物乞い慣れした人の場合、はっきり断らないと相手も食いさがってくるし、子供だからと同情するわけにはいかない。自分の身を守るためにも彼の顔をしっかり見て
“I said NO!”
と強く言うしかなかった。するとようやく少年はささっと店を出て行った。よくこういうことがあるのだろう。レジにいた店主らしきおじさんが「まったく困ったもんだ…」とでも言いたそうに首を振ってみせた。
友人のコンドミニアムはそこから少し先の角を曲がってすぐだったが、ひっそりとしていた駅前とは雰囲気がガラリと変わり、レストランやお店が並ぶ小ぎれいな通りだった。リノベーションが済んだばかりで、広くておしゃれな友人のコンドミニアムから見下ろす側道も街路樹が並んで美しい。なかなか安全そうなエリアなのに、最寄駅のあの怪しい雰囲気はなんだったのか。
懐かしくなったのでインターネットで見てみると、Smith 9 Streets駅は当時リノベーションの最中だったようだ。今は随分と近代的なデザインの美しい駅に変身を遂げていて驚いた。あの物乞いの少年も今ではいい大人になっているはずだ。ニューヨークの荒波に揉まれ続けて逞しく生きていることだろう。