真夜中のA Trainで背筋が凍った件
日本にいる今でも在ニューヨーク日本国総領事館 からのニュースレターを受信している。ここ最近のトピックはコロナ関連のものが殆ど、そして次に多いのは治安の悪化に関するもの。先日も地下鉄の治安情勢に関するレターが届いた。
昨年、ジャズピアニストの海野雅成さんが地下鉄の駅構内で襲われて重症を負われてしまった事件は特に現地の日本人社会にとって大きな衝撃だった。海野さんの一日も早いご回復をお祈り申し上げると共に、今後こういう悲しい出来事が無くなっていくことを切に願う。
私がニューヨークに住んでいた期間は比較的治安がよかった。もちろん常識の範囲内で行動している場合の話だが、夜間の地下鉄乗車にもなんら抵抗はなかった。図書館で夜遅くまで勉強した後もアルバイト先からの夜中の帰り道も、人通りの多い道を選んでいたし怖い思いをしたことはなかった。
そんな私だが一度、「これはまずいぞ」と焦った経験がある。日本で生活していてもまず感じることのない、「その場にいるだけで身の危険を感じる」じっとりとした焦りだ。それは、大学院の友人たちと夕食を共にした帰り道でのことだった。
その日はブルックリンのレストランに集まって食事をしていた。食後もお酒を飲みながら盛り上がっていたけれど、ふと時計を見ると夜も更けてきていた。その日集まったメンバーは皆ブルックリン住まい。つまり、帰りは私ひとりでマンハッタン行きの地下鉄に乗ることになる。
「そろそろ行くね」
とレストランを出て地下鉄の駅に向かった。
さて、普段は頻繁にやってくるニューヨークの地下鉄だが時間帯や路線、方面によってかなり本数が少なくなる。あいにくこの時も、待てども待てども電車が来なかった。30分近くも待っただろうか。やっと線路の向こうのほうから電車の音とライトが近付いて来た。やれやれ。長く待ったけれど、これ一本で住んでいるアパート近くの駅まで行く。
「ふぅ」
とシートに落ち着くと、本を取り出し読み始めた。30分は乗るだろうからと周りを全く気にかけず私は本に没頭していった。
暫くして「おっと、そろそろ降りる駅の近くかな?」と本から顔を上げた私はなんとなく異様な雰囲気の車内に気づいてしまった。これは私の降りる駅近辺ではない。景色も、駅名も、知らない。何よりも、車内にいる人々が…怖い。頭の中が真っ白になって背筋がスーッっと凍りつくのを感じた。
車内の空気ははピーンと張りつめていた。私以外、全員大柄で強面の黒人男性。電車のガタン・ゴトンとという音以外は静まりかえった車内。と、「なんだ、コイツ」とでも言いたげな冷たい目のひとりと目が合ってしまった…。
この瞬間、口から心臓が飛び出るかと思った。「ヒエェェェ~!」内心では雄叫びをあげながら、顔には出さないようにと念じながらどうにか平静を装った。
(内心)「ここどこ?どこ?どこぉぉぉ~っ?!」(外見)さりげなく外を見ながら駅名を確認
(内心)「知らないっ!そんな駅名知らないっ!どこまできちゃったのよぉぉ~!」(外見)さりげなく車内の路線図で現在地の確認
………………Aトレインでブルックリンの奥地、JFK空港方面に向かっとる。(気絶寸前)
ニューヨークの地下鉄は急にスケジュールが変更になったりする、それは知っている。急に停まるはずの駅をスキップ(停まらずにそのまま進んでしまうこと)したりするのも、知っている。でも、急に、真夜中に、行き先を変えるのはやめれっ!!!本に没頭している間に聞き取り不可能レベルな車内アナウンスがあったのかもしれないが、私の耳には入っていなかった。
「落ち着こう」
深く息を吸いながら自分に言い聞かせた。JFKに近づくにつれ、治安は悪くなっていく。一刻も早く逆方面行きに乗り換えてマンハッタンに向かわなきゃ。しかし!駅によっては一度外に出なくては逆方向に乗り換えられないし、こんな夜中に危ないエリアに出るなんて自殺行為だ。大きな駅じゃないとダメ。大きな駅なら大抵外に出なくても逆向きのトラックに乗り換えられる。もう一度さりげなく路線図を見て、次に停まる大きな駅を見つけた。そしてその駅に着いた瞬間、私は使い慣れた駅のようなそぶりで電車を降りた。心臓はバクバクいっているものの、平静を装いながら早足で向かいのトラックに向かい、運よくすぐにやって来たマンハッタン行きの電車に乗った。
この後、自分の駅に着くまで1時間近くかかったが、もう本を読むどころではなかった。ちゃんと見張っていないと、今度はどこに向かってしまうかわからない。無事にアパートに戻れたのは、もう真夜中過ぎだった。
私には相当強いご先祖様が守護霊としてついていて守ってくれたに違いない、と思わざるを得ない一件だ。しかし、最初に乗ったはずのマンハッタン行きの電車がいつの間にどうやってJFK行きのAトレインに変わったのか、20年近く経った今でも謎である。
こちらのAトレインはワクワクしますよ。”Take the A Train” by Duke Ellington
on Amazon.co.jp ☟