CLASS ACT(洗練された一流のプロフェッショナル)、トニー・ベネット
私のように昭和生まれの人は「サンフランシスコの歌」と聞けば彼の歌声を思い出すか、歌を聴いて「あぁ、この声!」ってなるんじゃないだろうか。大好きな Mr. Tony Bennett のあの伸びやかで情緒たっぷりのお声。その Mr. Bennett が去る7月21日にお亡くなりになった。家族皆で仲良くコロナ感染し、激しい喉の痛みを感じながらベッドに横たわりスマホでニュースをチェックしていた時だった。体の痛みと心の痛みのダブルパンチ。
彼の70年以上にわたるエンターテイナーとしての活動に敬意を込めて、今回はの人生を振り返ってみる。とはいえ、彼の長~いキャリアを網羅するのは到底不可能だし、彼ほどのお人となると経歴やディスコグラフィーは検索で数えきれないほど出てくるので殆どがリンクの紹介になりそうな予感が…。それにしてもMr. Bennett のお人柄に魅了されたりお声についついうっとりと聞き惚れてしまいとにかく作業は進まない、笑。こういうの(↓)を見つけてしまうともう見終わるまで何も手につかなくなってしまうので…。
Mr. Bennettが亡くなると、SNS上に彼への哀悼メッセージが溢れた。素敵だと思ったのは Keith Urban の X(旧ツイッター)のものだ。Keith は Mr. Bennett を “Class Act”(クラスアクト・一流の人のこと)と呼んでいる。まさに!彼の気品、洗練された立ち居振る舞い。ステージ上でもそれ以外の場でもビデオを見ているとうっとりさせられる。特に レコーディング・スタジオで ナーバスな Amy Winehouse を優しく見守ってあげたり Lady Gaga の涙を拭いてあげるシーンには彼の人となりがあらわれているんじゃないだろうか。
歌はたくさん聞いたことがあったけれど、Mr. Bennett ご本人に関しては知らなかったこともたくさんあった。彼について、少しご紹介。
ニューヨークのクイーンズで生まれたイタリア系アメリカ人。本名はアントニー・ドミニク・ベネデット(Anthony Dominick Benedetto)
貧しい家系を助けるために10代で Singing Waitress をしていた
18歳の時に徴兵され、第二次世界大戦の最後の2年間を過酷な戦況と気候のドイツ戦線で過ごした
プロの歌手になる前には商業イラストレーターとして生計を立てていた
最初は Joe Bari という名前で活動していたが、コメディアン・俳優である Bob Hope が改名
グラミー賞を20回、エミー賞を2回受賞
最後の10年間だけでも10ミリオン(一千万枚)のアルバムセールスを記録
90歳を超えても現役で活躍され、そのキャリアは70年以上にわたる。11人のアメリカ大統領の前で歌っている
全米アルバム・チャート1位の最年長記録保持者であり、アルバムをリリースした史上最高齢の人物としてギネス世界記録にも認定されている
どの年代からも愛された THE ENTERTAINER、まさにエンターテイナー中のエンターテイナーだ。
Mr. Bennett は1950年にコロムビア・レコードと契約。1951年には “Because of You”(「ビコーズ・オブ・ユー」)がいきなり全米チャートで10週連続1位を記録し、スターの仲間入りを果たした。その後1950年代から1960年代にかけて "Blue Velvet”(「ブルー・ヴェルヴェット」)や “I Left My Heart In San Francisco”(「思い出のサンフランシスコ」)などヒットを連発し、自身のTV番組を持つようになるなど、エンターテイメントの世界で不動の地位を築いた。
60年代にはブリティッシュ・インベージョン(イギリスからロックミュージックがアメリカに入ってきて台頭した)で人気が低迷。その間にロック曲にもトライしたり(これはご自身の意思ではなくレーベルからの指示によるもので、本人はこれを嫌悪し聴いた時には「吐き気がした」そうだ)、自らのレーベルを設立したり、名ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスとの共演アルバム(最高のデュオ!)をリリースしたが売り上げが伸びず、納税延滞状態になったあげく1979年にはコカインの過剰摂取で瀕死の目に遭うまでになった。
さて、Mr. Bennett には4人のお子さん(息子二人と娘二人)がいるが、息子の二人 Danny と Dae はバンドを組んでいた。この二人の息子たちに Mr. Bennett は助けを求める。音楽的な才能はないけれどビジネスセンスが抜群だったこの二人の息子たちの功あって、彼はのキャリアは再び波に乗る。ちなみに、 Danny はマネージャーとして、Dae はレコーディング・エンジニアとして活躍。父の音楽は幅広い年齢層に受け入れられるに違いないと確信していた Danny は 父を積極的にテレビのトークショーなどに出演させ、それが若者向けの放送局 MTV への出演へと繋がっていった。結果、 “Tony Bennett: MTV Unplugged” はMr. Bennett の長いキャリアの中でも一番売れたアルバムの一枚となった。“Tony Bennett has not just bridged the generation gap, he has demolished it.(「トニー・ベネットはただ単にジェネレーション・ギャップの橋渡しをしただけではなく、その橋を破壊した。」)” (The New York Times)
ジェネレーション・ギャップの破壊を成し遂げた Mr. Bennett はその後たくさんの若者アーティストたちとの共演を果たしている。まず頭に浮かぶのが Lady Gaga とのコラボレーションだろう。彼女とは2枚のアルバムを出している。
“Cheek to Cheek” (with Lady Gaga) 2014
“Love for Sale” (with Lady Gaga) 2021
その他いくつかを挙げてみると…
“Playin' with My Friends: Bennett Sings the Blues” 2001
“A Wonderful World” (with k.d. lang) 2002
“Duets: An American Classic” 2006
“Duets II“ 2011
“Viva Duets” 2012
“Love Is Here to Stay” (with Diana Krall) 2018
顔ぶれだけでも是非見てほしい、もうすごいから!
Season 10 のアメリカン・アイドルでは Haley Reinhart と共演。Haley ファンの私にはこれも欠かせない!
もうひとつ!これは実は今回知ってしまった…。
さて、人生後半で人気の巻き返しが起こりお年を増す毎に活躍の場を広げていった Mr. Bennett だが2016年、90歳の時にアルツハイマーの診断を受ける。症状がマイルドだったため、その事は公表されずに Mr. Bennett は歌い続けた。(詳細な記事(英語)“Tony Bennett's Battle With Alzheimer’s”)その裏には家族の大きなサポートがあったし、Lady Gaga の思いやりもすごかった。2021年8月、『Love for Sale』の披露ライブを最後に、ステージ上でのライブ・パフォーマンスから引退。(その辺は涙を流しながら書いた note記事をどうぞ!)
Mr. Bennett は自伝や画家としてのアートの本も出版されているほか、奥様と Exploring the Arts というチャリティー団体も設立すると同時にニューヨーク市の教育機関と協力して Frank Sinatra School of the Arts (FSSA) も設立し芸術への貢献を続けた。また、Mr. Bennett は積極的に人権活動に参加、「血の日曜日事件」が起きたアラバマ州セルマからモンゴメリーへのデモ行進でキング牧師と並んで歩いた。
Mr. Bennett が最後に歌われた曲は最初のヒット曲 “Because of You” だったそうだ。そして奥様に「愛しているよ」という言葉を贈って旅立たれたとのこと。96年の彼の人生は私たちにdedication(献身)、commitment(傾倒)、 courage(勇敢さ)、and compassion(思いやり)といったことを教えてくれる。
私が好きな Mr. Bennett の言葉。
“If you follow your passion, you’ll never work a day in your life.” (「情熱に従えば人生1日だって労働をする日はない。」筆者訳)
好きな歌やアートに情熱を注ぎ追求し続けたMr. Bennettは1日も仕事をしているという思いをすることはなく、心がいつも満たされていたのだろう。あの笑顔とオーラだもの。
最後にいくつか映像を。(キャプションがあるものはオンにして見ると英語の勉強にもなります!)
Tony Bennett Website: https://www.tonybennett.com/
Thank you, Mr. Tony Bennett.