火事!
5年近く住んでいたマンハッタンのファイナンシャル・ディストリクトにあるアパートはスーパー、ドラッグストア、郵便局、そしてダイナーにネイルサロンからスタバまでとにかく生活に関わるものは殆ど何でも歩いてすぐの所にある、それは便利な所にあった。地下鉄の駅の入り口さえアパートを出てほぼ真横にあるので(そして勤務先もビルの入り口が駅に直結していたので)雨でも雪でも傘いらずで出勤できた。観光客もビジネスマンもとても多いエリアだったけれど、通りに面していない奥の側のアパートだったのでいつも静かだった。アパートの一番奥にある窓から外を見ると同じブロックにあるビル群の、同じように奥(裏)の側があるだけであまり日の光も届かないので表側とは打って変わってひっそりとしている感じだった。その窓の横にあるドアを開けると小さなベランダがあって引っ越した当初はプランターに花を植えようかとか椅子を置いて読書でもしようかとかワクワクしたものの、2軒先にあるファストフード店の油の匂いがプンプンしてくることに気付きベランダに出ること自体なくなっていった。最終的にベランダはテキサス州出身でバーベキューが大好きな夫のガスグリル置き場になった。よくステーキを焼いてくれたものだ。
そんな静かで快適なアパートだったが、ある時期から学生やら若者が住み始めた。向かいのアパートは学生たちの共同生活にうってつけの4ベッドルームらしくよく週末になるとパーティーをしていた。部屋に入ってパーティーしている間はいいが、酔っ払った学生たちが大声で話しながら頻繁に出入りしたり次の朝エレベーターに続くホールに出ると酔いつぶれて床に寝ていたりされるとちょっとゲンナリだった。更に、うちのアパートの真上には若い女性が数人で住み始めたらしく週末の夜になるとヒールが行ったり来たりする音がカツカツ動き回った。夫はその音がとても気になったようである日
「ちょっと行ってくる」
と上に言いに行った事があった。そんなのはまだまだ可愛いもんだがいちばん凄かったのは裏側のアパートに住む若者たちがパーティをして酔っ払った挙句、窓から出てきてベランダや壁をつたって騒ぎ出しうちの窓のすぐ外でも大声で話したり更には影まで見えてしまった時だ。夫も私も眠っていた真夜中だ。さすがにこれには夫と
「警察に電話する?」
なんて話したり、ホールを覗いてみると他にも迷惑顔の住人が顔を出したりしていたのだった。しばらくしておさまったから誰かが通報したに違いない。
子供が生まれると皆そうなるものだと思うが私も息子が生まれてから眠りが浅くなり、若者たちのパーティー騒ぎがなくても夜中に何度も目が覚めて子供の様子を見たりするようになった。ある夜、何かが焼けるような匂いでふと目が覚めた。うっすらと外から入ってくる光で部屋の中がかなり煙っぽいのが見える。家事!?でも炎は見えない。煙はどこからきてるの?家事はどこ?焦ったけれどこういう時こそ落ち着かなくてはという意識が働いてまずは夫を起こした。どうも窓から入ってきているとようやくわかり、外を見てみると右手斜め前に見えるビルの裏手から消防士が中に入ろうとしているところだった。それにしてもすごい煙だ。炎も少し見えている。私の窓から距離にして25メートルくらいだろうか。それでこんなにすごいなんて。この時生まれて初めて火事の恐ろしさを目の当たりにした。それにしても火煙の中に飛び込んでいくなんて消防士は本当に勇敢だなぁと思った。彼らのお陰で明け方までには鎮火し、空気の入れ換えに時間がかかったのものの翌日は安心して眠る事が出来た。
余談だが、2日後同じビルで再び火が出てまたしても夜中に起きる騒ぎがあった。勤め先でだったか友人とだったか、その話をしていて火事の中には保険金目当てのものもあると聞いて驚いたのだった。その近所の火事の真相やどうやって起きたのか、私は結局知る機会がなかったけれど。ニューヨークは殆どの住居がアパートだから自分が起こしたものでなくても被害を被ることは大いにあり得る。考えてみるとニューヨーク市に住んでいた13年の間に2、3人の知り合いが火事の被害にあっているし私だってこの件以外に2回は経験した。最初に住んでいたグラマシーのアパートでは上階で火事があって逃げ遅れた女性が死亡してしまったし、勤務先のビルの屋上でボヤが出て避難したこともあった。
考えてみるとこの火事騒動はもう日本に引っ越してくる時期に近づいた頃だったからそのアパートを離れましょう~というサインだったのかもしれない。最終的にはマネジメントからビル自体を壊すので全世帯出てくださいという手紙がきてうちを含め皆引っ越すことになった。5年間住んだアパートの跡地がその後どうなったのか。次回ニューヨークを訪れる時には見に行ってみたいものだ。