煩悩のカタマリ

昔むかしのお話。法要の際に坐禅を組んでお寺の和尚さんのお説教をお聞きする機会があった。
「さあ目を軽く瞑ってみましょう」
しばらく目を瞑っていると和尚さんの声が聞こえてくる。
「こうして目を瞑って座っていると最初は頭の中にいろんなシーンが、雑念がまるで映画のシーンのように次々と浮かんできます」
ふむふむ、本当だ。
「それを煩悩と言います」
と。そしてお説教は108つあると言われる煩悩について続いた。当時まだ学生で坐禅や瞑想などというものに全く縁がなかった私だがそんな若く未熟な私にも非常に興味深い内容だった。深い精神世界の入り口を覗けて印象に残った経験だ。

あれから何年経ったか。私の脳は未だに煩悩に溢れているようだ。

昔から次に何が起こるか考えながら行動するクセがついてしまっているらしく、雑念・煩悩を追い回しているうちに1日が終わる事も多いように思う。

最近、隙間時間という言葉をよく見るようになった。ここでスマホが大活躍することになるのだが、やれメールが来た、テキストメッセージだSNSだととにかく暇つぶしにもってこいのツールだ。そして隙間だけだったはずがそれ以外の重要な、例えば睡眠時間にまで影響していたり。

今こういう時代だからこそ、何かをする時は意識を集中してしっかりとやりましょう、そしてそうでないときはとりあえず頭に浮かんで来てしまう念に振り回されずに穏やかに過ごしましょう、ということではないのかな。ひとことで言うと「丁寧に生きる」とでもいうのか。

1995年の “Words Aptly Spoken” という本に収められた Dr. Bob Moorehead (ボブ・ムーアヘッド牧師)の “The Paradox of Our Age”  (この時代に生きる私たちの矛盾)という祈りの言葉が心に響く。

座禅!と頑張ってやろうとしたら寝ていた…という経験多数の私だが、時には目を閉じて余計なことを考えずに心を穏やかに保つということが人生を豊かにすることに繋がるかもな、なんて思うのだった。

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