はじめて英語で夢を見た思い出
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。昨年は『Homemade Sushi: Made with Love』のリリースもあり更新回数がすっかり減ってしまっていたので、気持ちも新たに再出発!私の活動拠点であるこの “Meg for Life” をもっとマメに・気軽にアップデートしていこうと思います。どうぞお付き合いください。
さて、新年ということで今回のテーマは夢。とはいえ、私はこのところ起床時に夢を覚えていることがなく今年も初夢ナシ。なので印象に残っている「初めて英語で見た夢」の話をひとつ。
日本の大学で英語を専攻していた私は3年生を終了するタイミングで休学し、1年間のインターンシッププログラムに参加した。派遣先はアメリカ南東部にあるノースカロライナ州。美しい自然と美味しい南部料理が楽しめ、人々はのんびりとしていて温かみがある。そして、渡米直前までホストファミリーと交わしていた手紙(当時はまだEメールすら普及していなかった)からは想像すらできなかった南部訛りの英語という試練も待っていた。標準のアクセントだったら多分わかるであろう英語も南部訛りのせいでちんぷんかんぷん、なんて事がよくあった。(因みに今でもわからないことが多々あって、アメリカ人の夫が「南部訛りの英語」から「標準英語」に通訳してくれたりする、笑)。最初の頃なんて家族で集まって会話をしていると全く入っていけずに
“You are quiet, Meg.(メグ、静かじゃない)”
なんて言われたものだ。いや、わからないんだってば、笑。まわりに日本語のわかる人間がほぼ皆無だったせいで意思の疎通を図るには英語を話すしかなかった。おかげで英会話のみの日常には徐々に慣れていったが、毎晩「脳が痛くなる」という現象が起こっていた。
聞こえてくるのも話すのも常に英語。1ヶ月間完全に英語に浸る日々。そんな英語漬けの生活を始めて2ヶ月目に入った頃だったと思う。朝目覚めて夢の中の会話が全部英語だったことに気づいた。これ、かなり感動の瞬間。「何が起こったの?!え?え??」っていう感じ。もちろんそれまでの積み重ねがあっての出来事なのだろうけれど、ある日突然起こったものだから衝撃的だった。今では夢の内容はすっかり忘れたけれど、起きた瞬間に
「やったっ!」
と感動が込み上げたのは今でも鮮明に覚えている。
その時を境に面白い変化があった。それまで英語を話している時には、その都度「英語を聞く→頭の中で日本語に変換→理解して答えを考える→それを英語に変換→英語で話す」というプロセスが起こっていた。会話ができていても単にそのプロセスの速度が上がっただけの状態だった。それが、英語は英語ですっと入ってくるようになった。つまり、会話時の脳内変換みたいなものがなくなったのだ。
そして、面白いことに英語の力がつくにつれ日本語の力は退化していった。現地にいた間は9割以上が英語の生活で日本語を使っていたのは家族に国際電話をかけた時、他の日本人インターンと話す時、日本に手紙を書く時のみだったのだが、たまに日本語で会話をすると言いたい言葉が出てこなかったり英語の方がすっと出てきやすいなんてことが起こり始めた。ヘンな日本語を使って家族に笑われることもあった。(「長距離恋愛」とか、笑。)言語っていうのは使わないと忘れるものなんだなぁと実感した。幼い頃から11年間アメリカに留学して完璧な英語力を得た津田梅子が日本語を完全に忘れて帰国したという話を聞いたことがあるけれど、それがわかる気がした。
こうして書くと英語を完全にマスターしたかのように思われるかもしれないが、実は今でも英語と日本語では明らかに理解度が違う。特に無意識のレベルで。例えば、地下鉄やレストランなど出先で誰かが日本語で話していると意識を注がなくても何となく会話が耳に入ってきて内容がわかってしまうのに対して、英語は意識して聞かないと完全にBGM化して流れていってしまい内容は頭に入ってこない。これが母国語と外国語の違いなんだろうなと思う。
初めての英語の夢。そしてそこからの英会話力の伸びは自分でも面白い感覚だった。興奮して英語で夢を見た話をした時にはホストファミリーも一緒になって喜んでくれたっけ。それからもしばらくは気を抜くとRの発音が上手くいかなくてかなりイジられていたけれど。
“Meg, say ‘Febururary’(ニヤリ).”
とか 、
“Say ‘squarrel’(ニヤリ).”
とか。
皆様にとって2023年が素晴らしい1年となりますよう。